テクノロジーの進歩に伴う創作と複製のバランス

特許事務所では、文章を書くのが仕事です。
昔は紙に原稿を書いて、タイプライターの担当の人に清書をしてもらってたそうですが、今はもちろんパソコンで原稿を書いています。
仕事をしながら、ふと、テクノロジーの進歩に伴って、紙からパソコンに変わったとして、どれだけ生産性が向上したろうかと思う。
従来の半分の納期で仕事ができるかというと、そうではない、という実感がある。
これに対して、できた文書は、飛躍的にコピーが容易になった。コピー機しかり、電子ファイルのコピーしかり。


テクノロジーの進歩に伴って、著作者も変わらなければいけないというのは、そうなのだけど、著作者の創作の変化以上に、利用者が恩恵を受ける複製の変化が大きいのではないか。
これを創作と利用のバランスという見方からすると、従来に比べて、利用者の利便が大きくなっているとは考えられないだろうか。


著作者は、著作権により保護されるのだから、複製されればされるほど、収入も増えてもしかるべきである。それなのに、契約の如何もあって、そうはなっていないことが多い。
著作者から見れば、容易に、かつ無断で、複製されればされるほど、本来は手に入れられるはずの収益が、入らないようになっていると考えられるだろう。
著作権者が保護強化を主張するということは、利用者を不当に制限するためというよりも、テクノロジーの変化に伴う著作権者と利用者との利益のバランスの崩れを是正するためと考えることもできよう。


著作者は、たとえテクノロジーが進歩しても、今までどおりの収益であれば、それなりに納得するかもしれない。収益が上がれば万々歳だ。
しかし、テクノロジーの進歩により無断で複製される結果、収益が減ることになれば、声を上げることになるだろう。


大学入試の過去問を載せた本、いわゆる赤本に著作物が載っていることについて、著作権者が金銭の支払いを求めて裁判を提起して、裁判所が原告の主張を認めたというニュースがあった。
裁判の結論は間違ってはいないが、私は、過去の問題文に対して権利を主張した著作権者の行為に賛成できない。むしろ、やるべきではなかったと思っている。
著作権の侵害に対し、過去の行為に遡って請求することは、著作権法の条文からは、することができる。
しかし、損害賠償を請求される側からすると、今まで使用料を請求されていなかったのに、過去に遡って請求されるのでは、何となく騙し討ちのような気持ちになる。
著作権者は、判決により、一時的に金銭を得ることは可能だろう。しかし、訴えた著作権者の作品は、今後は試験問題としては使われなくなるだろう。そのことが、長期的に見て著作権者の得になるのだろうか。
著作権者は、赤本に今まで載っていた分は請求せずに、これから新たに赤本に載る分について請求するようにすれば良かったと思う。将来的に、出版社の了解済みで費用を請求するのなら、裁判などにもならなかったろう。
著作権者が赤本の出版社を訴えたと知って、私は、そこまで困窮しているのかと思った。


権利と利用のどこにバランスを取るのか、それは著作権者の利益と利用者の利益とを考慮して、文化の発展という法目的に合うところに定められる。
そして、今が利用者寄りのバランスだというのであれば、著作権者の保護を強化するというのは有りだと思う。