知財業界のトリビア

本日7月1日は弁理士の日だそうです。
ドクガクさんが弁理士の日を盛り上げるために、お題を提供されました。
http://benrishikoza.blog24.fc2.com/blog-entry-2439.html

今年の共通テーマは「知財業界のトリビア」。
トリビアといっても、一般人が読んで「へぇ」と思うネタがいいのか、知財業界の人が読んで「へぇ」と思うネタがいいのか。
また、知財業界にいる期間がある程度長い私は、「昔はこうだったんだよ。」というような、懐古ネタを思い付いちゃいます。そんな懐古ネタでいいんだろうか。
そんなことを考えると、はてなダイアリーを二年ぶりに更新するというのに、筆がますます進みません。
なので、勢いで書いちゃいましょう。
他の方とのネタかぶり上等!で行きます。また、ネタが滑っても気にしない!
なお、本来なら根拠を一緒に示すのがよいのでしょうけれど、今回は省略します。
以下のトリビアネタは他人からの伝聞ネタを含みますが噂程度のものではなく、私が本当だと思っているものを書きます。もっとも、昔のこと等については記憶に頼っているため必ずしも正確でない場合はあり得ます。この場合はツッコミをいただければ幸いです。

実務編

商標法第8条第5号のくじは、ガラポンである。

と、書いてネット検索したら同じ内容についてntakeiさんのブログエントリーが見つかった。
うう、最初のネタからネタかぶりしてますが気にしない。

マーカッシュは人の名前である。

特許審査基準で注釈なしに記載されている「マーカッシュ形式」のマーカッシュは人の名前だそうです。マーカッシュさんが外国の裁判所でクレームの記載形式で争ってその形式が認められたためにマーカッシュ形式と言われるようになったとのこと。
鈴鹿サーキットでデグナーさんが転んだからデグナーカーブと言われるようになったようなものですかね(←分かりにくい例え話。)。

受験編

代々木塾は今は代々木にはない

私は代々木塾出身なので実に寂しいことなのですが、今の代々木塾は代々木駅が最寄り駅ではないのですよね。役務の提供者の名前と役務の提供の場所とが不一致になりました。
代々木の頃の代々木塾に関し、ビルに移転する前の二階建てアパートの頃を知っている人は、あまりいないのかも。

弁理士

日本弁理士クラブと弁理士クラブは別の団体である

「日本弁理士クラブ」は複数の会派の集合体であり、「弁理士クラブ」は会派の一つです。それぞれウェブサイトがありますので見れば違いが分かるでしょう。
日本弁理士クラブの略称は「にちべん」、弁理士クラブの略称は「べんく」です。

PA会のPAはパテントアトーニーが語源である

それそも会派とは何ぞやという疑問を持つ人はいるでしょうけれど、弁理士の有志の親睦団体という理解でいいと思います。母体が出身大学である会派で、その大学が出身でないと入れない会派もありますが、多くの会派は入会資格はオープンです。

弁理士の弁と弁護士の弁は、元々は漢字が違う

旧漢字では弁理士は「辨理士」、弁護士は「辯護士」と書きます。

弁理士制度百年の記念切手がある

その時はまだ私は合格していませんでした。所内の弁理士が買っていたのを羨ましく思いました。

弁理士のバッジは五三の桐紋だ

桐紋は日本政府の組織の紋章に使われているので個人的に好きです。
弁理士バッジを付けている人をあまり見かけませんね。比較的大きいしビロードの地布が付いているので気おくれするのでしょうか。

弁護士は弁理士試験を受けなくても弁理士になれる

これは一般の人向けのトリビアでしょうか。

弁理士行政書士試験を受けなくても行政書士になれる

これも一般の人向けのトリビアでしょうか。
行政書士になれるのと行政書士の実務ができるのとは別の話です。
なお、行政書士試験に合格していれば弁理士試験の論文式試験の選択科目が免除になります。

特許庁の審査官は7年の実務経験で弁理士になれる

審査官は公務員試験に合格するか、任期付き審査官に応募して合格すればなれます。

懐古編

媒体特許というのがあった

昔はコンピュータプログラム自体が特許法で保護されていなくて、方法の発明及び/又はプログラムを記録した媒体の発明を保護する運用が行われていました。

特許の無効の審判、延長登録無効の審判以外の無効審判があった

「外国語国際特許出願固有の理由に基づく特許の無効審判」というのがあった(旧184条の15)。まあ、特許無効審判の一種といえば、そうなんですけれど。現在の184条の18の規定に相当します。

特許出願の用紙がB5版、一頁に一行当たり22文字で20行だった

うちの事務所は所員が日本語ワープロで明細書を書いていました。ワープロを使えない人は手書きでした。この場合、和文タイプの人がワープロに入力していたのです。

「意見書に代わる手続補正書」や「手交」があった

特許法第36条違反の拒絶理由通知の場合には、意見書を提出しないで、補正書のみを「意見書に代わる手続補正書」として提出できる慣行がありました。手交は審査官面接等で拒絶理由通知書と手続補正書とをそれぞれ相手に手渡しする慣行でした。

中央郵便局まで出願書類を持って行っていた

電子出願以前は、うちの事務所は特許庁に出願書類等を持参して窓口に提出していました。特許庁は17時閉庁なので17時までに提出できなかった書類であって、本日中に手続きしなければならない書類は、特許法第19条に規定する郵便物の受領書をもらうために、深夜も開いている東京駅近くの中央郵便局に持って行ってました。

実用新案公報は部分公開だった

公報は実用新案登録請求の範囲及び図面が掲載され、考案の詳細な説明は掲載されていなかったので、読みたい場合は閲覧請求をしていた。

パトリスは従量課金だった

IPDLどころかインターネットが一般的でなかった頃です。今はJ-PlatPatで無料で調べられますもの。便利な時代になりました。

弁理士試験の多枝選択式試験にゼロ解があった

五択問題なのに、五つの枝のいずれも正答でない問題があったのです。

論文式試験が平日にあった

有給休暇を取れない人は弁理士試験を受けるのが大変だったろうと思います。

弁理士試験の受験資格に大学卒業があった

大学を卒業してない人は予備試験を受ける必要がありました。私は大学の卒業証明書の代わりに卒業証書を特許庁の受験窓口に持参していました。

論文式試験の会場にはエアコンが入ってなかった

関西の試験会場はエアコンがないために公平を確保するためという理由だったそうです。私はその頃は論文式試験にチャレンジできていませんでしたので伝聞です。初夏の暑い中の試験は大変だったそうです。

特許事務所の標準料金表があった

今みたいにお客様との取り決めではなくて、弁理士会が規定する標準料金表があったのです。

最後に

菅 直人 元内閣総理大臣弁理士である

やっばり一般人にとってのトリビアは、これでしょう。