5月7日のコメントについて

小倉秀夫さんから5月7日の日記のコメント欄にてコメントをいただきました。

むしろ、私の場合は、まず「目的」というのは主観的要件であるから、例えば米国盤を発行したレコード会社において主観的に「当該アルバムの米国盤CDは専ら米国において頒布するために生産・出荷するのだ」との意思を有して生産・出荷すれば、それだけで「専ら国外において頒布することを目的とするもの」という要件を満たすと解釈します。文言上「目的」という主観的要素でしか絞りをかけていない部分について「表示」という客観的要素で絞りがかけられているのだと解釈をするのは条文の解釈手法として素直ではないからです。

小倉さんが、どのような考え方をされたのか、考え方を聞かせてもらって良かったです。ありがとうございます。
私は、「国外頒布目的商業用レコード」というのは、「目的」という主観的要件があるにしても、「専ら……するもの」である以上、その意思は客観的に表れ出ている必要があると考えます。
この「専ら」という語は、他の事象を排除するという、強い言葉です。そのため、例えば米国で音楽CDを発行した場合に、それが全世界盤だとも(客観的に)考え得るようなレコードは、日本国内において頒布することが禁止されているとは云えないだろうと考えます。
そして、「もの」ですから、かような「専ら」であることが、客観的な存在であるところの「もの」(=レコード)の要件とされています。
そうすると、国外頒布目的であることは、主観的要件であるとしても、専ら国外頒布目的であるレコードであることは、そうであることが客観的に認められるものである必要があると考えます。
そして、客観的に認められる手段として、ジャケットに国外頒布目的であることの表示が必要になるだろうと、私は考えました。