KodakとSun、オブジェクト特許で和解

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0410/05/news016.html
このKodakの特許訴訟についての一連の記事を基にソフトウエア特許について書かれた日記をいくつか見た。

Kodakの有益な発明をSunが盗用したのではない。誰でも考えることをあらかじめ登録して地雷にするのがソフトウェア特許だ。この馬鹿げた特許でSunを潰すのがKodakの狙いなら,消費者はKodak製品を選択しないだろう。 しかし諸悪の根源はこの馬鹿げた制度を維持する米国だ。日本は何でこんなのを見習おうとするのだろう。

要するに、この和解はJavaOpenOffice.orgのために、ということだが、戦ってこの危険な特許という「地雷」を永久に取り除いた方が「ためになった」と思う。残念だ。

「誰でも考えることをあらかじめ登録して地雷にするのがソフトウェア特許だ。」と、そのように断定はできないでしょうと思う。
米国特許法においては、発明時点において誰でも考えつくこと(自明であること)は、特許にならない旨が、第103条に規定されていますから。
ただ、米国特許法の場合は、先発明主義ですし、継続出願や一部継続出願を利用することで、権利化を遅らせるということがあるし、審査も日本よりは比較的緩い感じがあるしで、日本との比較では発明が容易なものも特許され得る傾向にあるのは認めます。
次に、特許を「地雷」と比喩するのは、妥当なのだろうかと思う。
特許は企業の武器だし、不意に争いになるから「地雷」なのだろうけれど。
地雷は、表面からは全然見えないので、避けようがないけれど、特許になったものは全て公開されているし、インターネットでも検索できる。見えてない訳ではない。
見えてなければLinuxに283件におよぶ特許侵害の可能性――米調査なんて、調べようがないでしょう。
ただ、上記の記事にあるように、米国特許法の三倍賠償制度との関係で、調査した結果、侵害していることを知っている場合には多額の賠償をしなければいけないから、調査をしないというのであれば、それは米国特許法に問題があると思う。


それにしても、米国特許法の記事について、よく話題になるものだと思う。
日本における影響も考えてのことだろう。
米国には米国の特許法があり、日本には日本の特許法があり、この日本では米国の特許法の及ぶところではないというのはさておき。
米国特許法は先発明主義で、日本(というか米国以外のほとんどの国)は先願主義である点で法制度が顕著に相違している。この制度の相違によって、米国で問題になることが日本では問題にならないことがあるし、またその逆もある。
だから、そのような相違を考えずに、「米国で問題になっているからソフトウエア特許はけしからん」という論調は、ちょっと牽強ではないかと感じる。
IT Proのメンバーが見られるページに、次の記事がある。
今野浩の「ソフトウェア特許論」【前編】(上)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/NBY/techsquare/20041001/150667/
日経バイト2004年7月号の記事らしい。
この記事も、米国特許法に対する批判が多いように思えた。
この「ソフトウェア特許論」に対して、この日記で書いてみたいのだが、書くからには時間が要る。その時間が。


(10月30日追記)
まつもと氏からコメントをいただきました。
今月期限の仕事で時間に追われています。次の土曜日、日曜日ぐらいに日記を更新する予定です。
いただいたコメントについては、その更新時に書こうと思っております。