ジャストシステムへの差し止め請求は、厳しいか

はてなダイアリーには、「おとなり日記」という機能があって、日記で書いた文章中のキーワードが重複している他のダイアリーを表示してくれる。
この「おとなり日記」機能で、cozoo氏の「企業知財部員の日記」を見つけた。
cozoo氏の2月20日の日記には、松下電器ジャストシステムとの特許訴訟に関して、興味深い記載が書かれている。
http://d.hatena.ne.jp/cozoo/20050220/1108905666

 最近話題になった松下vsジャストの訴訟でもそうだが、(松下の人曰く)ジャストは再三に渡る契約交渉の申入れを行っても無視しつづけたとのことだが、そのような会社が出て来ている。(ついでに松下の人に聞いたところによれば、差し止め請求でもすれば、ビックリして交渉のテーブルにでもつくだろうと思っていたとのこと。だから、損害賠償請求もしなかったとのこと。しかし、テーブルにつくどころか、徹底抗戦の構えだったので、判決が出るまで行ってしまったとのこと。世間が騒いで2度ビックリとのこと。まあ、本件は直接関係ない。)

十分にあり得る話だと思うし、こういう事情があったのではないか、ということは私も思っていた。
「私も思っていた」って、既に、じゃんけんの後出し状態なので、ここでは私が、どのようにしてそう思ったのかを書いてみよう。


私は明細書を書くことが仕事なので、企業間の交渉には明るくない。
でも、特許法を学ぶ者として、特許権者が権利を行使する手段として、差止請求(特許法第100条)と損害賠償請求(民法709条)とがあることは容易に思いつく。
法律上は、この他に不当利得返還請求(民法703条、同704条)や信用回復の措置(特許法第106条)もあるが、差止請求と損害賠償請求とが二本柱といっても良かろうと思う。
なのに、松下電器が提起した訴訟は、差止請求である。
同一の侵害行為に対して、差止請求と損害賠償請求との両方を請求できるのに、損害賠償請求はしなかったのか。しなかったのであれば、なぜ請求しないのか。
ここから推理を働かせる。


差止請求は、現在又は将来の侵害行為を止めさせることを目的とした請求である。
これを、ジャストシステムのビジネスモデルから考えると、差止請求は、ジャストシステムにとって、ダメージは、さほど大きくないといえる。
詳述すると、ジャストシステムは、一年に一度、ソフトウエア製品をバージョンアップすることで、そのバージョンアップした製品の売上により収益を得るビジネスモデルである。(もちろん、他の製品も販売しているが、一太郎が収益のメインの製品であるといって良かろう。)
一太郎も花子も、一年に一回のペースでバージョンアップしているので、販売が差し止められ、廃棄命令が実行されても、その対象となる製品は、流通在庫のものといえる。そんな売れ残りの、在庫となっている製品の販売を差し止められたり、廃棄を命じられたりしても、ダメージは限定的であろう。
また、将来的な製品についての差し止め請求について考えると、そもそも松下のヘルプアイコン特許は、一太郎や花子という製品にとって欠かすことができない本質的な機能に関するものではなく、容易に回避することができる特許である。
だから、仮に一太郎2005について、アイコンの記号を変更した形で販売していたならば、裁判所の判決で執行される差し止めの対象物からは外れる。
すなわち、松下の特許の侵害のおそれなく、大手を振って一太郎2005の販売をすることは可能だった訳である。
以上のことから、差止請求では、ジャストシステムのダメージは少ない(はずであった)。
ジャストシステムは、一太郎2005のアイコンを変更して販売すべきだったのであるが、実際には、変更しないまま販売を開始してしまった。そのため、一太郎2005も、販売の差し止め、廃棄の対象物に含まれることになった。
その後、アイコン変更モジュールを提供しているが、この変更モジュールの提供により、一太郎2005が販売の差し止め、廃棄の請求から免れるものではない。変更モジュールの提供は、法律上は、一太郎を事業で使用しているユーザーに対して、特許権侵害の不安を解消させるものといえよう。松下電器が、エンドユーザーに対して訴えるとは考えられないけれど。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/03/01/6644.html
特許権を侵害している可能性のある新製品をそのまま販売開始するなんて、ジャストシステムは甘いと思う。
アイコンを変更したら、訴訟で松下電器は「特許権侵害を認めたから変更したのだろう」なんて主張するかも知れない。でも、そんな弁論を予想して、ジャストシステムがアイコンを変更しなかったであれば、バカ正直過ぎる。


差し止め請求が現在又は将来の侵害製品を対象とするのに対して、損害賠償請求は、過去に侵害していた製品をも対象とする。
だから、仮に過去に特許権を侵害する製品を販売した場合には、現在は特許権を侵害する製品を販売してなく、将来的にも販売する予定がなかったとしても、賠償金を支払わなければならない。販売したという過去の事実を、いまさら取り消すことはできないから。
つまり、松下電器ジャストシステムに対して損害賠償請求をした場合には、特許権を侵害していたならジャストシステムは賠償金の支払いから逃げられないし、新たに製造すれば製造するほど賠償額が増える。
だから、ジャストシステムからすれば、損害賠償請求されるほうがダメージ大きかったのではなかろうかと思う。


それなのに、松下電器は、差止請求だけで、損害賠償をしていないとすると、これは何を意味するのか。
私は、松下電器の行動について、ジャストシステムに対し、ライセンス交渉の場につけというシグナルだったと思えた。


松下電器ジャストシステムとの「経緯」については、関係者から聞く機会がないので、表に出ている情報のみであるが、昨年の夏に出た判決(?マークのヘルプアイコンだと松下の特許を侵害しないという判決)の判決文に書いてある経緯を読むと、松下は、平成7年(1995年)からジャストシステムに対してライセンス交渉をしようとしており、ジャストシステムは頑なに交渉を拒否しているように読める。
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/BD8ABD057306E75449256F6900327386/?OpenDocument
1995年というと、一太郎だとバージョン6.3、松下もワープロを製造していた頃ではなかろうか。
松下からすると、10年にわたって交渉を拒否しているから、切り札を一つ切りますよ、ということで訴訟になったように見える。でも訴訟するにしても、被告にダメージをあまり与えないように差止め請求だけにしましたよ、と。


以上が私の推理である。
ただ、この推理にも弱点はあって(それが今まで日記に書かなかった理由の一つである)。
松下電器が損害賠償請求をしていれば、ライセンス交渉で得られる金額以上の額が得られる可能性があったと思われる。だったら、ライセンス交渉の場につかせるまでもなく、損害賠償請求すれば良いという考えもあり得る。
これについては、互いに納得ずくでライセンス料を払ってもらうほうが、しこりを残さないと考えたのであろうか。